【解説】酒と広告

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お酒の広告といえば、まず思い浮かぶのは「酒林」でしょうか。「酒林」は杉の葉を刈り込んだ球体で「杉玉」とも呼ばれます。造り酒屋で新酒が出来たことを知らせる、シンボル的な看板です。これは室町時代から伝わる看板ですが、今日なお町の酒屋さんや居酒屋などで見かけます。看板や暖簾はもっとも根元的な広告なのです。
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一般的に不特定多数の大衆に向けて行う「広告」は江戸の後期から活発になります。庶民文化が爛熟し商品経済が発達した、18世紀半ば「下り酒」といわれる酒が池田、伊丹、灘から樽廻船で江戸に送られてきました。代表的な「剣菱」はじめ「男山」「白雪」などが江戸を席巻していきます。一方、「地回り酒」と呼ばれる「隅田川」や「都鳥」という江戸の地酒もありました。しかし、上質の「下り酒」は江戸で圧倒的に消費されたのです。酒は特に広告しなくても売れたのですが、商品経済発展にともない、数多くの酒の差別化と競争が生まれてきました。ニセモノも多く出回ったので、銘柄の識別、つまりブランド化が始まったのです。酒は嗜好品ということで薬や化粧品と違い、成分や効能を訴求しにくい商品です。したがって産地や商標・ロゴの持つブランドイメージがとても大切でした。広告はブランドを構築するために存在するといわれます。
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では江戸期、マスメディアの無い時代にどの様にして宣伝広告が行われたのでしょう。
酒を運ぶ容器は各酒蔵メーカー共通の四斗樽でした。この四斗樽を包む菰に刷り込んだ商標が酒の差別化でした。つまり菰樽というパッケージは酒の広告最前線なのです。
ロゴマークの入った酒の菰樽は、江戸で大評判の錦絵、特に役者絵や美人絵の中に登場します。また歌舞伎舞台の書き割り、見立番付や絵双六などにも見られます。さらに様々な宗教行事、祭り、催事など、大衆の目が集まる場所に、酒の菰樽を積み上げて宣伝したのです。こうして様々なアイデアや工夫で酒のブランドイメージを醸成させていったのです。
(図版1)に見られる、下り酒の代表銘柄「剣菱」の美人絵、それに対抗するかのように地回り酒の「隅田川」(図版2)の美人絵は「江戸の名酒」と菰樽を描き入れた商品広告になっています。
近代のブランド戦略につながる先駆的な広告活動がこの江戸期に始まりました。

図版1「剣菱」の銘柄入りの美人画(左)と図版2「隅田川」(右)の銘柄入りの美人画(アドミュージアム東京所蔵)

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明治・大正期に入ると浮世絵に慣れ親しんだ日本人の感性が、新時代の「美人画ポスター」へと受け継がれていきます。浮世絵の伝統は技術的にも木版から石版印刷へと発展し、石版ポスターが有力な広告媒体となりました。北野恒富や多田北烏らの多くの有名画家の描く美人絵が、酒のポスター広告となって大衆を魅了してきました。
昭和期の戦後は酒の広告表現も多様化しますが、やはり美人画の伝統は王道です。日本酒の広告は当代きっての女優たちが微笑みかけます。対抗するメーカーは大人気の男優たちを登場させます。こうして、憧れの有名人を起用した、セレブリティ・コミュニケーションは今日なお受け継がれているのです。

坂口 由之(アドミュージアム東京 学芸員)

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