前の記事へ
西国諸将鎮静天杯賜ル之図
江戸時代から明治初期にかけて、酒を飲む場は主に居酒屋や料理屋といった外食店であった。酒はチロリで温められ、居酒屋ではそのまま、正式な宴席などでは銚子(金属製の鉄瓶型の容器)に移して供されていたが、『守貞漫稿』によると、江戸後期には燗徳利が普及していたようである。幕末の下級武士の記録には、自宅で酒を飲む様子も記録されているが、自宅での飲酒が一般的になるのは、明治中期以降とされている。
日本人の酒癖については、戦国時代末期に日本を訪れた宣教師ロドリゲスの『日本教会史』に、日本人の宴会は大酒を飲むように構成されており、多くが酩酊し前後不覚になると記録されている。ここに紹介する浮世絵同様、江戸時代に入り、大酒を飲んでの酩酊や失態が笑いとして取り上げられる例は枚挙にいとまがない。また、飲酒量を競う「酒合戦」までもがたびたび開催されていることからも、日本人は大量の飲酒や酩酊には寛容であったと言えるだろう。明治時代には、過度の飲酒による失態を諷刺的に記す新聞記事が散見されるようになり、飲酒に対する意識が変化していったさまが窺われる。
畑 有紀(新潟大学 日本酒学センター 特任助教)