【解説】「画」と「書」二つの美のコラボ

江戸時代、酒は四斗樽で運んだ。いわゆるラベルはなく、銘柄は、クッションに巻いた菰に型紙を用いて摺り込んだ。その姿を今に伝えるのが、お祝いなどで使う「菰かぶり」である。

菰を巻かず、樽に木版のラベルを直貼りする手法は明治4-5年ごろ、三重県四日市港から東京への荷積みで始まったと思われる。残されたラベルに記された発行年や地域分布からの推定だ。

はじめは地味な1、2色摺りだったが、すぐに鮮やかな赤や青を用いた多色摺りに発展していく。桜や菊、鶴や亀、松竹梅などの吉祥の絵柄が描かれ、そこに独特の進化を見せるダイナミックな「ひげ文字」が映える。浮世絵版画のようなラベルは、樽を華やかに飾っただろう。

菰かぶりに比べて彩りがあり、巻く手間もかからない。灘に勝る地の利で東京市場に食い込もうとした三重の蔵ならではの「発明」だったのではないだろうか。

木版ラベルは関東などの蔵が追随したが、やがて失速する。文明開化による機械印刷(石板、亜鉛版)が始まったからである。木版手摺りと違って、彫りや摺りの職人技は要らない。各地に印刷所ができ、印刷ラベルは全国の蔵に広がった。

明治30年代、一升瓶が登場する。「軽くて便利」と大手蔵がこぞって採用し、ラベルもそれに合わせて小型化していく。樽では25センチもあった幅は15センチに狭まり、面積も3分の1に縮んだ。棚に並べたらラベルの見え幅はわずか10センチしかない。

狭くなった土俵でいかに銘柄をアピールするか。考えられたのは、絵柄をすっきりさせ、銘柄を「額縁」によって際立たせる方法だった。例えば「独立男山」では、酒銘は丸い枠で仕切られることによって、ぐっと目を引く。額縁効果である。

大正から昭和にかけて一般化したこの様式は、戦後の昭和30-40年代に一つのパターンとして洗練されていく。酒銘とそれにちなんださまざまな額縁と絵柄のハーモニー。雅趣の中に遊び心をも感じさせるラベルは、「昭和クラシック」ともいうべき高みに達した。

日本酒ラベルを眺めていると、「華麗な画」と「雄渾な書」の二つの美のコラボと気づく。

木版ラベルでは、伝統的な美意識から生まれた意匠が、浮世絵風のぼかしや多色摺りを生かして描かれた。そこに包摂されるひげ文字という芸術的な書体(西洋でいうカリグラフィー)。

商業デザインでありながら、「画」と「書」が融合するアートでもある日本酒ラベル。宿された美のDNAは歳月を超えて引き継がれ、世界でも独特の輝きを放っている。

(比治山大学名誉教授 石田信夫)

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